お運びをいただきまして、厚く御礼申し上げます。
三遊亭圓歌師匠がお亡くなりになりましたね。
偉大な師匠を亡くし、関係者やファンから悲しみのコメントが多く寄せられています。
わたくし「のすけ」にとっても圓歌師匠は忘れられない存在です。
今日はそのエピソードをお話しましょう。
話は私の中学生時代にさかのぼります。
あるとき父親が、地元で開かれる落語会に連れて行ってくれたんですね。
その会のメインは、なんと
5代目・柳家小さん師匠!
そうです、落語家として初の人間国宝になられた、あの小さん師匠です。
もっとも当時はそのありがたみは全く理解していなかったのですが、父は、当時すでに年老いていた小さん師匠の落語を一度聴かせておきたいと思い、私を誘ってくれたのです。
その落語会を楽しみにしていた私は、小さん師匠の落語テープをいくつも借りては聴く日々を送っていました。
「こんなにおもしろい落語が生で聴けるんだ」と胸を高鳴らせる私。
・・・がしかし!
当日、小さん師匠は体調不良のために出演見合わせということになってしまいました(>_<)
そして代わりを務めてくださったのが、
三遊亭圓歌師匠。
もちろん圓歌師匠も人気がありますし、小さん師匠の代演として相応しい「格」なのでしょうが・・・
タイプが全然違う。
小さん師匠というのは正統派の古典落語を得意とするお方。
かたや圓歌師匠は新作落語を得意とする方であり、落語家と僧侶の2つの顔を持つ異色の師匠。
さらに、小さん師匠は穏やかで謙虚な雰囲気であるのに対し、円歌師匠は、
なんか偉そう?!(*´Д`)
それまでの落語家のイメージは小さん師匠しかなかったので、中学生ながらに驚きました。
でも、面白かったですねぇ。
たとえば、圓歌師匠が若いころ、寺で修行中に心筋梗塞で倒れて病院に運ばれた話。
「何が面白いかわかりますか?普通の人は病院からお寺に運ばれるんです。私は寺から病院に運ばれたんです。わざわざ説明させないで!」
今でも鮮明に覚えてます(^m^)
今になって考えるとあれは、圓歌師匠の十八番「中沢家の人々」だったんですかね。
「偉そう」と感じたのも、もちろん圓歌師匠の芸風であり持ち味です。
というわけで初めての生落語はまさかの圓歌師匠ということになったのですが、それまで小さん師匠のテープばかり聴いていた私にとっては「こんな落語もあるんだ!」という大きな発見となりました。
そしてそれ以降、いろいろな師匠の落語テープを借りてきては聴くようになったというわけです。
この落語会が私の落語好きの原点と言って良いと思います。
つまり、
私が落語を好きになれたのは、圓歌師匠のおかげ
と言っても過言ではないのです(^m^)
小さん師匠はすでに亡くなっていますが、圓歌師匠も亡くなってしまいました。
落語を知るきっかけとなった両師匠がいなくなってしまって、寂しい限りです。