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今日は、落語と漫才の違いについて考えてみましょう。
寄席に行くと、落語の合間に色物さんの芸を楽しむことができます。
色物の1つに漫才があり、寄席の空気をスッと変えてくれたりするんですね。
とくに、それまで客席の空気が重かったときに、漫才師の高座でパッと明るくなることがあります。
私は落語も好きですが、漫才も大好きです。
最近とある雑誌に、柳家喬太郎師と春風亭昇太師の対談が載っていたんですね。
「落語と漫才の違い」がテーマになっていたんですが、とても参考になりまして。
この対談をもとに、「落語と漫才の違い」を改めて考えてみようと思います。
落語と漫才の違い① 1人 VS 2人
まず決定的に違うのは人数ですね。
落語は1人で演じますが、漫才は基本的に2人です。
落語の場合は、言葉の使い方も間合いもすべて自分次第。ある意味孤独な闘いです。
1人だからこそどのようにでも調整できますが、限界もある。
漫才の場合は2人で演じるので、変化のバリエーション自体は増えるでしょう。
言葉も間合いも、2人の間の化学変化で出来上がります。
変化の幅は広いですが、なかなか思い通りにならないという弱点もありそうです。
うまくいかないときには、落語家はすべて自分の責任ですが、漫才師は相手のせいにしたくなるかもしれません。
ちなみに昇太師匠は、大学生時代には漫才もやっていたそう。
テレビの漫才コンテストで優勝したこともあるそうです。
それでもやはり、2人でお笑いを作っていくことに限界を感じ、
結局、コンビ仲が悪くなって辞めてしまったそうです^^;
1人でやるか2人でやるかの選択は、性格によるのかもしれませんね。
落語と漫才の違い② ストーリーが必要 VS 不要
落語というのはストーリーがないと成り立たないですよね。
漫談スタイルの高座は別として。
一方の漫才は、ストーリーがなくても大丈夫です。
2人で会話をしていればそれで成立します。
そうなると、人数だけの問題だけではなく、ネタの作り方自体がまったく違うということになりますね。
落語と漫才の違い③ ツッコミのフォローがない VS ある
漫才はボケに対して相方がツッコミを入れることができますね。
そのため、落語に比べて過激なことを言いやすいのだそうです。
過激なボケをしても、ツッコミで中和されるということですね。
反対に、落語の場合は1人ですから、過激なことを言ってお客さんが引いてしまえばそれまでです。
必然的に、空気を読みながら、ツッコミがなくても成立する笑いを取っていくことになるでしょう。
(落語でもセルフ・ツッコミはできますが、他人がツッコミを入れたほうがインパクトが大きいため中和効果も高いです。)
漫才は過激なことを言いやすいから、爆発力がある。
だからこそテレビ向きでもあると言えそうです。
もちろん、だからと言って落語が劣っているというわけではなく、
落語には落語の良さがありますよね。
お客さんとの駆け引きで、ちょうどいい笑いを提供する「粋な笑い」が落語にはあると思います。
ちなみに喬太郎師匠は以前、さん喬師匠と組んで漫才を披露したことがあるそうです。
しかし、自分の師匠に対して激しくツッコミを入れることはできないため、ウケなかったらしく(^m^)
激しくツッコむ漫才は、やはり対等な立場でないと難しそうですね。
まとめ
落語と漫才の違い、探せばこれ以外にもあると思います。
でも、こうしていくつか違いを挙げただけでも、落語と漫才は大きく違うことがわかります。
寄席は落語も漫才も両方楽しめるので、お笑い好きにはたまらない場所ですね(^^)