2018年1月12日、落語家・柳家小蝠(やなぎや こふく)が42歳の若さで亡くなりました。

もともと糖尿病をわずらっていましたが、インフルエンザにかかり、死因となったのは肺炎。
周囲から愛される小蝠師匠の早すぎる死は、多くのファンに衝撃を与えています。

小蝠師匠と言えば、もともとは立川談志に入門し将来を期待されたものの、立川流の上納金を払えずに破門。

十代目・桂文治に拾われて新たに修行し、師匠・文治の死後、3人目の師匠である柳家蝠丸門下で真打になった落語家。
苦労人であり、落語家たちから愛されていました。

私も大の落語好きとして、こういうニュースはやはり悲しいです。
しかし今回はそれと同時に、落語家の死生観についても考えさせられました。

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「落語家は笑いを届けるもの。人が死んでも笑いで送り出す。」
これが落語家としての死との向き合い方だそうです。

告別式では万歳をして送り出す。それが落語家というもの。
もちろん悲しくないわけじゃないでしょう。
でも、場を明るくするのが落語家の務め。
故人のためにも明るく送り出す。

いかにも落語の世界らしいと思います。

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小蝠師匠の訃報を受けてのツイートを見てみると、多くの落語家は素直に悲しみを表現し、「ご冥福を・・・」とコメントしています。
さすがに急な訃報ですから、悲しみを隠せないのも無理はないかもしれません。

一方で、小蝠師匠ととくに親交の深かった落語家のツイートは少し違いました。

 

https://twitter.com/Edataro_Katsura/status/952234616429060097

 

「おめぇ、来るの早くねぇか?」は文治師匠。
「あの世でも上納金は取るからな」は談志師匠。

仲が良かったからこそ、こんな時でも笑いを。
たまらなく辛いからこそ、笑いに変えて。

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笑いは傷ついた人の心を明るくしてくれます。
明日を歩む勇気をくれます。

落語家が死者を笑いで送り出すのは、親しい友との死別がなにより悲しいことだから。

落語がまた好きになりました。