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今日は、戦後を代表する落語家 5代目 古今亭志ん生師匠をご紹介します。

この志ん生師匠、亡くなって40年以上経つにもかかわらず、今でもファンが多いです。

最近では、お笑い芸人のオードリー若林さんと女優の南沢奈央さんが、「志ん生好き」で意気投合して交際に発展したという話題も。

もちろん若い人だけではありません。

たとえば私が最近、世界的ジャズクラリネット奏者の北村英治さん(88歳)のライブを聴きに行ったところ、こんなことをおっしゃっていました。

「寄席にはずいぶんと通いましたね。志ん生師匠はよく聴きました。
師匠は酔っ払って高座に上がってそのまま眠っちゃうようなこともありましたけれど、ファンにとってはそれでも嬉しかったんですよね。」

それを聴いて私は、あぁ、こんな世界的に有名な音楽家でも落語が好きなんだ、やっぱり落語って深いんだなと感じたのでした。

(志ん生師匠が高座で寝てしまうエピソードは有名ですが、生きた証言が聞けて嬉しかったです。
なんて破天荒な師匠なんでしょう!)

前置きが長くなりましたが^^;

志ん生師匠を簡単にご紹介します。

志ん生師匠の経歴

桂文楽師匠・三遊亭円生師匠と並んで名人と称された志ん生師匠。
まずは略歴です。

明治43年 二代目三遊亭小圓朝に入門し、朝太
大正5年 三遊亭圓菊に改名して二つ目昇進。以降、目まぐるしく改名を繰り返す。
大正10年 金原亭馬きんに改名して真打に昇進。
昭和14年 五代目古今亭志ん生を襲名。
昭和48年 逝去

ということなんですが。。。

志ん生師匠の経歴を細かく見ていくと、本当に波乱に富んだ人生です。
たとえば入門して前座になる前に、

酒や博打に溺れて家出。

そしてその後、アマチュア落語家を経験しています。
入門前から激しいですね( ゚Д゚)

そして、「朝太」を名乗ってから志ん生を名乗るまでの改名歴。

なんと16回。

遅咲きだった志ん生師匠、何とか売れたいという願いの表われだったのでしょうが、
そんなに改名したら、

自己紹介の時にしょっちゅう間違えそうです。

志ん生師匠にとってとくに大きかった出来事は昭和20年、第二次大戦時に満州に慰問に訪れたことです。
物資豊富と言われた満州に渡ったわけですが、そのまま帰れなくなり、戦後も満州で過ごします。
生死ギリギリの生活をしたあと、やっとの思いで帰国したのが昭和22年。

その経験が芸に深みを増したということもあるのでしょうか。
その後の活躍や目覚ましいものだったそうです。

志ん生師匠の芸風

芸風は、「ぞろっぺ」と言われ、同じ噺も演じる度にかなり違ったものになったようです。
気分が乗らなければグダグダ、その代わり当たると大きいという

ホームランか三振か

という芸風だったそう。
そんなところがまた、ファンにはたまらないのかもしれません。

とはいえ名人と言われた師匠ですから、ただの気まぐれではなく緻密な計算があったはずだという証言も。

また、志ん生師匠と言えば大のお酒好きで知られていますね。
あんまり好きなので、お酒に酔ったまま高座に上がってしまうことも度々あったというのは最初に述べたとおり。

師匠が高座で居眠りしてしても喜ばれる志ん生師匠。

もはや、無敵です(´▽`)

それだけ、ファンに深く愛されていたんですねぇ。

得意ネタは数知れず。持ちネタの多さでも有名でした。

  • 『火焔太鼓』
  • 『抜け雀』
  • 『二階ぞめき』
  • 『居残り佐平次』
  • 『替り目』

などなど・・・挙げればキリがありません。

しかしそんな中でも私は、『替り目』が大好きです。
お酒が大好きな師匠らしいですし、奥さんへの愛情が伝わってきて、志ん生師匠そのものな気がするのです。

師匠の『替り目』は、何度聴いてもほろっときてしまいます。

みなさんも、ぜひ聴いてみてくださいね。